片岡「ひろし海と展望」

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help リーダーに追加 RSS (私の願い) 住民が参加し提案する街づくり           (追想風)新市スポット案内

<<   作成日時 : 2007/04/07 16:44   >>

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平成17年 6月議会での私の質問   (新川付近の地すべり問題)

(質問)
新川支渓、砂防事業についてお伺いします。兎並、山の上地区は地すべり防止地域に国交省より、昭和35年1月18日に指定されています。一回目の地すべりが発生したのは昭和28年の南山城水害のとき、二回目は昭和61年の梅雨前線の時です。京都府はそのたびごとに取水ボーリング工事はしましたが、昭和33年の「地すべり防止法」により、その直後から抜本的な事業が実施されるべきだったのに、開始されたのは17年後の昭和50年に緊急地すべり対策事業と9年後の昭和59年に地すべり修繕事業、又 昭和61年に地すべり保全整備事業でした。災害は未然に防止する又は先行的に事業を進めるのが基本だと思うのですが、町長 どうでしょうか。

(町長)
災害の場合 予防が最大の防御だと考えます。そうすることによって住民の命と生活を守るのが基本的な考え方です。

(質問)
昨年京都府北部で災害が発生し、町長は京都府の要請で現地にいかれたと思いますが、茅葺の家屋が倒壊し、土砂に押し流されると言う悲惨状況でした。又 三重県宮川村では地すべりにより7名の死者がでました。今回京都府が兎並・山の上地区で新川支渓通常砂防工事を平成17年より3年計画で進めると発表しました。これについて現在までの経過ならびに事業の概要説明をお願いします。

(町長)
平成14年からの京都府の調査によると、法面の荒廃が進んでいることが判明しました。
(以下 詳細の経過と工事概要の説明)
今のところ山腹工の第一地点および第二地点について今年の秋に着工の予定と聞いています。

(質問)
昭和47年に林地崩壊防止施設工事が約7m実施されましたが、それから何もやっておりません。又 先ほどのように平成14年から調査がはじまったとのことですが、二つの地区が指定地区になったのは昭和35年です。あまりにも年月が経ちすぎではないでしょうか。その間地域住民は緊張感をもった不安の中にありました。用地買収など困難な問題があることはわかりますが、町としてももっとアクションを起こすべきではなかったでしょうか。

(町長)
新川が天井川であることから、過去の町の責任者や担当者はそのつど、最大危険箇所ならびに対策必要箇所として施策の要望もされていたと聞いています。順次計画的に改修工事が実施されてきたと思いますが、平成14年からの調査で、両地区の状況が危険な状態であると判明し、京都府も工事に着手したと思います。

(質問)
昭和53年に兎並区の森本実さんの裏山に60mの擁壁が造られただけで、その後何も工事はなされていません。兎並の方々は個人で業者に崩壊防止工事を依頼し、自分の生命と財産を守ろうとされたそうです。もう20年も前のことですが、加茂町としてどうだったのでしょうか。

(町長)
その時その時の事情があって、工事が実施されない何かの潜在的な事情もあったかもしれません。現在の私の立場から言うと一刻も早く計画的に工事がなされるよう京都府に要請していきます。

私の友達 T (船屋の人) さん の追想より
画像写真は木津川市清水付近       access JR木津駅より西へ歩いて10分


我々の学年は昭和19年4月から昭和20年3月までの間に生まれたのである。だから戦争体験はないが、その末期の影響をまともに受けたのである。小学校に入った時、何故か男子の中に瘡(当時はクサと言われた)のような皮膚病を持っている人が何人かいた。私もその一人であった。母の話によると、栄養失調により母乳が出なかったからだと聞いた。しかしもっとひどいのは「お前は私の背中で気を失っててな---、私の妹が"姉ちゃん何かおかしいで。すぐあそこの医者に見てもらおう。" 先生が何かを飲ましてくれてやっと弱ーい声出したのや。」と聞かされたこともあった。私は父の勤務の関係で戦争末期には写真の木津川市清水付近に住んでいた。母の話によると、そこでも戦争の影響を受けた。清水から1kほど西に行ったところにある木津中学の付近には今でも変電所がある。そこが狙われたらしい。B29がピンポント攻撃をしたのだろう。ある日の昼頃、昼食をとっている時に急に警報のサイレンが鳴り出した。防空壕に逃げたのであるが、母が大きくなってから「お前にはすまん事をした」と言ったのは、私には兄と姉がいたのであるが、「早よし!」と言って、両手で二人をつかんで走って壕に入り、私には布団を投げかけただけで無防備のまま布団の上に置いておいたらしい。当たり前である。母は急に三人の子どもを抱えることはできないのである。戦争悲話にならずに間一髪私は生き延びた。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
同い年の方の話、心に染みました。田舎と思っていた木津町でも同じような戦争にまつわる話があったんだなぁと。B29の爆撃で3人のうちの一人は置いて飛び出した母親の気持ち思うと胸が熱くなります。同じような経験を私もしています(赤ん坊ですから後で母に聞いたのも同じです)。
戦争をしてはいけませんな。被害者はいつもまず弱者からだから。
Yoh
2007/04/28 23:34

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