私の友達 N (前回登場の人) さんの追想より 写真は上狛小学校付近の商店街
access 旧山城町役場付近の信号を右折して3分(旧道に入る)
我々の中学時代には相楽郡七カ町村中学校区全部をめぐる郡駅伝大会があった。一区は笠置大橋から木屋を越え銭司の和銅遺跡まで(われわれより二・三年先輩のころは木屋峠を越えて和束に出た)、二区はそこから井平尾を右折して和束の白栖橋まで。三区は旧のJRバス奥畑線を加茂のほうに、四区は口畑から町内を抜け高田を越えて梅谷まで、五区はそこから24号線に出て北に行き、写真の上狛小学校まで、六区は旧道から24号線に出てそれを渡り、開橋も渡って精華の川西小学校まで、そして七区(最終区)はそこから木津中までであった。今から思えば壮大なコースであった。大会当日は選手でない人も勉強はなし。太鼓と旗と弁当を持って沿道での応援である。その応援団は町外までは出なかったので、四区を走った N さんは口畑から梅谷までの下り坂、沿道は我が応援団でいっぱい、おまけに町内の一般応援団も含めて声援と高い期待と熱気の中、人の塀が続く道を疾走し、順位を4・5番上げたと言った。つまり一・ニ区は出だしをつまずいたのである。レース後の会話「お前何番やった。お前どうやった」の中で一区を走った I が言ったのは「あんなん初めてやった。精華の久保と山城の加賀山と木津の奥谷がドンと同時にまるで100mを走るようなスピードで今のリバーサイドまで行ったので、他の三人は走り方がわからんようになった。最後は5番や」。二区を走った T は「いつも走る時に何考えたらええのかわからへんしガム食べるのやけど、今日忘れた。調子悪かった」。二人ともレース本番で、代表選手とは思えない悠長なことであった。私は五区で24号線を走った。写真付近の沿道には地元の岡崎大人応援団が来ていて今でもその様子と声を覚えている。今では本当に古い ムシロ旗 を振って、「isao!! 行け!! お前2番や。」 2番は私ではない。四区から受け継いだ時も2番だったのである。
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