片岡「ひろし海と展望」
3月12日(新市誕生)はもうすぐ 付録(追想風)新市スポット案内 渡しの船着場
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作成日時 : 2007/03/08 19:24
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平成18年12月議会 私の質問(教育問題) 前回よりの続編
(質問) この間 私が上下水道局に向かう途中 中学校の入り口のフェンスあたりで女生徒五人、男の子一人がたむろして話していました。校舎の中は授業中でした。ちょっと話しかけると、女の子たちは「おっちゃん 私ら勉強するのかなんね。ほんで授業抜けてるね。」男の子は「僕は中学生ちがうで、高校や」と言いました。その時「これは大変やな」と思いつつ、女の子たちと10分ほど話し続けました。そうするうちに女性の先生が来られて「何してるの!」と注意されましたが、私が不安に思うのは、授業から抜けている子がいるのに、始まってからその時まで何の注意もされず、なぜ放置されているのかと言うことです。そのあと校長先生に電話で「どうなっているのですか?」と聞くと、「しょっちゅうですね」「授業のない先生をつけてます」というあきれた答えが返ってきました。つける前にもっとすることがあるのではないか。私はそう思うのですが、教育長どうお考えですか。
(教育長)
今学校から聞いているのは、空き時間、3年生2年生とも授業のない先生は廊下にいすを置いて巡視しているそうです。授業から出てきた生徒には声をかけ、できるだけ入るように指導していると聞いています。そして授業に入れない生徒はやはり勉強がわからないからと言う理由が一番の問題ですので、現在中学校では補習や、それらの子どもたちにあった内容の補充授業をしています。又夜間もやっているそうです。ご指摘のように授業に何故入れないのかと言う根本的な原因の分析について、中学校にはその究明と取り組みを早急にやるように指導しています。
(質問)
私の感想ですが、もう一部の生徒を見放しているか、あきらめているのではないかと思われるような中学校の姿勢がうかがわれますが、次長どうお考えですか。
(教育次長)
学校自体が一部の生徒を見放しているのではないという質問ですが、決してそうではないと断言できます。・・・・・・・・・・・・・中学校と申しますと3年間です。その後進路のことがあり、将来何になろうかと考える時期であり、高校へも行かなければなりません。中学校の先生が一部の生徒をほっておくということは先のような事情と理由から決して「ない」と言えます。
(質問)
先ほど申しました10分ほどの話の中でも、私の受けた印象は「みんないい子や。普通や。」というものでした。私はその時自分が議員とは言いませんでしたが、「運動会のときがんばってたやんか。君 見てたで」と言ったら、やっぱり中学生。にこやかな顔をして、いろいろ話ができました。先生方が心から接していただいたら、わかる子ばかりだと思うのです。何かがやはり学校・先生方、一生懸命やっていただいているとは思うのですが、何かが欠けているのではないかとも思えます。次長 どのように思われますか。
(教育次長)
私も時間の許す限り、中学校に足と目を向けています。先月11月には教育委員会の教育委員さんにも実際に中学校を見てもらおうと、臨時の教育委員会を中学校で開催しました。授業風景、授業内容、校舎などくまなく見学しました。やはり議員ご指摘の「授業からのエスケープ」が目につきました。その子達は巡視の先生と話をしていましたが、その他大勢の生徒たちは授業に励んでおりました。その後教育委員会の中でも、この状態についての方策等を協議しています。
この議事録を読んだ私の友達が言うのでは、「話になっていない。慢性化した我らの中学校の荒れや乱れについて、個々の事象について”ああしている・こうしている”と言っているだけであって、なぜこうなっているのか 本町の教育のどこに問題があるのか 解決しないこの状況に対して教育委員会が立案・提示した方向や実践はどこまで進み、どこに未だに課題を抱えているのかを自分自身が分析できていない点に最大の問題がある。医者で言えば、肺炎を起こしている子に、最も信頼され、効果的で、進んだ処方を示さず、ばんそうこう もしくは 塗り薬を与えていると同然。ましてや病気の原因究明・体力回復・予防・再発防止など基本的な治療をしていない。」と。
私の友達 I (銭司の人) さん の追想より
写真は船着場、
access R.163より下りる
銭司は川の北岸にあるが、行政区は加茂である。つまり飛び地で、小学校は加茂小に通った。しかし両岸を繋ぐ橋はなく、小さな木造の渡し船で6年間通った。もちろん船はモーターなどなく、船頭さんは「さお」で操船していた。料金はもちろん私たちはタダであったが、今でも同級生たちは「一体渡しは何ぼ払えばよかったんや」と不思議さを解消していない。答えは「心付け」である。祝儀のようなものだから、いくらでもよかったのである。しかし私たちは日曜日などに渡してもらう場合は親から「”心付け”入れや」と言われていたので、幼いながらもそんな言葉を知っていた。この通学方法は上級生たちから厳重に「毎日渡しで行け。しんどくても奈良電のバス(当時は奈良電だった)で行くな」と言われていた。ところがどんな日もあってバスしか行けない時はヒヤヒヤものだった。丁度恭仁大橋の南詰のところで、列を作って、砂埃を舞い上がらせながら(当時は靴ではなく多分ジョウリ又はサンダルのようなのを履いていた。上級生は「ジョウリすって歩くな」とよく怒った。理由は砂埃が後ろの自分たちにかかるから)進む小学生一連隊とバスが時間的に合っていたのである。もしバスの中で小さくなって隠れるのを忘れたならば、次の日は上級生のカバンを持たなければならなかった。なぜか加茂駅でも降りているところへ一連隊がくる場合がありその時も最悪。もう一つ他に船頭さんから厳重に言われていることがあった。「片方に寄るな。乗ったら座れ」である。あの小さな船に多分15人ぐらいは乗ったから、結構船は沈んで船の縁は10cmぐらいしか浮いていなかった。手は楽々水につけられた。船が傾いたり、重心が高くなったからである。しかしもっと最悪だったのは、雨で増水した日であった。普通の日は船頭さんは川を横切る感じで渡してくれたが、増水した日は一旦岸に沿って上流約30mほど上にあがり、一気に流れに乗り(乗りよりも流され)斜めに向こう岸に漂着したのである。それ以上に最悪は「増水のため船止め」で、その場合は井平尾・岡崎周りだった。一番の最悪は学校帰りの「船止め」である。あると思って小谷の船着場に着いたら、向こうに家が見えているのに渡しはなし。もう一度もどって恭仁大橋・岡崎・井平尾周りである。だらか私たちは昼間の勉強中でも天気だけはしっかりと見ておく必要があった。そしてややこしい日には恭仁大橋の上から川を見て「あるかないか」を相談したのである。
では一句。 「渡し船 いまどきあれば 観光客」
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